三遊亭円楽さん死去 ぞくぞくと寄せられる追悼の言葉ににじみ出るその人柄

三遊亭円楽さんが肺がんのため亡くなったというニュースが流れ、多くの人がショックを受けています。

円楽さんは、18年に初期の肺がんで手術を受け、19年には脳腫瘍が発覚、今年1月には脳梗塞を発症と、病気との戦いでした。

そんな中でも、8月には講座の上がり、「みっともなくていい、死ぬまでやります。」と意欲を見せていましたが、千秋楽から1週間後には入院が発表されました。

何よりも高座を重んじ、肺がんの手術の予定も『笑点』の収録のない週に組み、『焦点』を休まなかったといいます。

腹黒キャラとして切れ味のある笑いで楽しませてくれた円楽師匠、時には、ばっさり政治に切り込んだり世の中を風刺を効かせて批判したり、知性に満ちた深い笑いで庶民の鬱憤を晴らしてくれました。

最後まで、落語家としてその命を全うした円楽師匠について見ていきたいと思います。

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プロフィール

出典:Nikkan Sports News

本名:会泰通(あいやすみち)

別名:三遊亭円楽、三遊亭楽太郎(旧名)、立川談次郎

生年月日:1950年2月8日

出身地:東京都・墨田区

師匠:五代目三遊亭圓楽

出身校:隅田区立両国中学校、都立深川高等学校、青山学院大学法学部

1970年から五代目三遊亭円楽の鞄持ちに志願し、その後付き人になってスカウトされ入門し、六代目三遊亭園生の命名により『楽太郎』と名乗りました。

笑点世代にとっては、円楽師匠というよりも『楽太郎』のイメージが強いですよね。楽さんと呼ばれて親しまれていました。

1976年に『笑点』のレギュラーになり、今年1月30日の最後の出演となった大喜利まで、46年間、私たちを楽しませてくれました。

落語界から寄せられた哀悼の言葉

多くのお弟子さんを持ち慕われていた円楽師匠、お弟子さんのみならず、落語会から本当に多くの哀悼の声が多く寄せられています。ほんの一部紹介します。

三遊亭楽太郎師匠のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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